このページの壁紙は、うちの近所のソノラ砂漠在住・オグロプレイリードッグです。

Arizona暴言日記

こんな目立たないページをつくって控えめに暴言を吐く、嗚呼、大和撫子な私。
ここでは「ARIZONA日記」にもちょっと書けない暴言をひっそり書き留めています。
暴言ゆえ、明らかな事実の誤り以外、用語や内容に対する苦情は受け付けません(笑)。
全て主観で書いておりますので、あしからず。

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(増えないことを願いつつ?)
点字ブロック

点字ブロック
 アメリカで点字ブロックを見かけたことって、ない。歩道によくある、黄色いぼつぼつのあれである。辛うじて、シアトルでドアの入り口にぼつぼつを発見したことはあるけれど、道案内レベルの点字ブロックは見ていない。
 日本では結構ポピュラーで、知らない人は少ないと思うけれど、視覚障害者が足や白杖で方向・止まるべき場所を確認するための点字ブロック。弱視の私も日本にいた時は、あの目立つ黄色で随分助かっていた。点字ブロックを両方の車輪でまたぐ形で車椅子を走らせれば蛇行してもすぐに気づくし、急に段差が現れることもない。放置自転車にはよくぶつかったけど(下線引いちゃうよ、もう)。
 かのADA法で障害者にとっては絶対日本より住みやすいとまことしやかにささやかれているアメリカに、何故点字ブロックがないんだろう? ツーソンのダウンタウンにはぴよぴよ♪ とかっこー♪ の音声信号が1箇所だけあったけれど、点字ブロックだけでなく、ドアの位置を知らせて鳴り続ける誘導ブザーとかも、お目にかかっていない。ついでに言うと、少なくとも田舎のツーソンでは、歩道の整備が悪く、歩きにくいことこの上ない。

「もっと視覚障害者に便利な町を」なんてことを言うつもりはさらさらない。不便を本当に感じていない人間が憶測で言うべきではないから。
 日本では江戸時代から三療(鍼・灸・按摩)の保護があったり、盲人の組織当道があったりで、障害者の中でも視覚障害者は特別、という感覚がどこかにあるように感じられる。それとも、晴眼者(目の見える人)が想像する「暗闇」が、他の障害より大変そうなイメージを作ったのだろうか。
視覚障害者が「晴眼者の社会」に向かって主張してきた歴史があるのだと思う。
 対するにアメリカの視覚障害者には、(視覚障害者としての)特別な意識があまり感じられない。何というか、やっぱり文化の違い・歴史の違いを感じた。「盲界」という日本語(もうあまり使われてないと思うけど)をアメリカ人の視覚障害者に伝えるのも、「Deaf power」を日本語に訳すのも、どうもすっきり行かなかったし。
 日本に比べて、糖尿病などで中途失明する人が多いから、ひとりで外出できなかったり、点字が読めなかったりする人の割合が高い(点字図書の普及率は低いが、本を読み上げるコンピューターソフトなんかは日本より普及している)。こういう人達にとっては、視覚障害者の単独歩行を補助する点字ブロックも、点字の案内板も「あっても仕方ない」?? 需要がないから普及しない、ということになる。
 CIL=障害者の自立生活支援センターで、「アメリカの進んだ社会サービスを学びに来ました」と勉強させてもらったけれど、視覚障害関連のサポートを担当している全盲の人が日本の点字ブロックの話を聞いて「それは便利そうだ!」と喜んでいた。おいおい…。
 かたやアメリカの車椅子の人達の主張ははっきりしている。事故などで中途から障害を負った人は、「受傷前と同じレベルのアクセス・便利さ」を、先天性障害者は「健常者と同等の生活」を具体的なかたちで要求する。その結果がこの便利さなのだ。お互いに主張しあって当たり前のアメリカ社会なればこそ、だけれど。

 アメリカの視覚障害者、立ち上がれ! この歩道の整備の悪さに、車社会に、自己主張せんかい!
 ツーソンの町に点字ブロックがあったら、視覚障害者が歩くことも考えて歩道や信号が作られていたら、もっと便利なはず。
 そう思うのは、私だけ?

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