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くろいぬ日記

黒犬ニッキー、アリゾナ育ちの東京暮らし。

2002年4月の日記

■2002/04/30 (火) ギギちゃん

 我が実家でふすまや壁をばりばりにしながら日々楽しく暮らしているちび猫たち。もう1歳になったからおとなだけれど、リズとギギは2匹とも小柄でまだまだ子猫らしい元気さがある。
 またまた実家に2泊した私とニッキーは、久しぶりにちびさんたちと遊ぼうと、ねずみのおもちゃと紐なんか持って、2匹を呼んでみた。
 すると。要領のいい甘え上手なリズは例によってすりすりの挨拶に来たのに、神経質なギギが、意外にも私達をちょっと怖がるのだ。リズに比べて器量と要領の悪いギギはどうも自己表現が下手で、家族にも「変な子」呼ばわりされる猫だ。それだけにとってもいとおしい。そんな可愛いギギに警戒されてしまった…。我が家に迷い込んできた頃は、平気でニッキーの顔の上を歩いたくせに、いつのまに「大きな犬は怖い」なんて覚えたんだろう。少なくともニッキーは、超がつく猫好き犬だから心配ないのになぁ。
 急遽仲直り作戦を実行する。ギギがいちばん安心する2階の部屋で、座り込んで本を読みながらギギが近づいてくるのを待った。しばらく無視していると、ギギの方から寄って来て、首をかしげてこちらを観察したり、匂いをかいだりしてくるので、静かに声をかけて撫でてやり、ギギの気の向く範囲で遊んでやる。これで怖がりギギちゃんも、そう言えばこんな家族がいたかな? と思い出してくれたらしい。最後に好物のちくわを食べさせてしっかりいい人を印象づけた。
 今日実家から戻る時には何事もなかったようにギギを撫でて来た。落ち着きがなくばたばたしているニッキーは未だにちょっと嫌がられている感じがするけど…また仲良く遊べるようになってね。
 ニッキーだって超怖がりで、自動販売機の音でもびびっていた。それが今では、ラスベガスのカジノの騒音も目の前を通過する急行電車も大丈夫。怖がり克服体験をギギに教えてあげて欲しいもんだ。
 そうそう。犬も猫も大好きな私は先日、犬好き用の骨形カラビナの隣におさかな形カラビナを発見し、「猫好き用もあるんだ!」と嬉しくなって購入した。でも、猫の好きな人ってアウトドア派は少ないような…もしかしてあれは、釣り好き用?


■2002/04/29 (月) ちょっと感動

 何度か会っている聴導犬のらぶ太くんとそのユーザーさん夫妻にお会いした。らぶ太はイギリスタイプのゴールデンリトリーバーで、優しい顔をした男の子。ママの聴導犬だけれど、同じく耳の不自由なパパにも音を教えてくれる。
 聴導犬と介助犬のユーザー同士の会話は、福祉とか使役犬の話は全くなく、らぶ太は他のゴールデンよりずーっと可愛い♪ とか、ニッキーも他のラブよりずーっと可愛い♪ とか、親ばか談義。。。
 でもね、らぶ太に音を教えてもらった時は、ちょっと感動だった。いつもはデモをしたり、話をしたりする立場でニッキーの仕事を紹介しているけど、よその子の仕事を体験させてもらうとすっかり観客モードで「らぶちゃんすごーい!」と喜んでしまう。
 らぶ太は決められた音がするとまず人の膝に前足を乗せて(引っ掻かないで静かに)知らせてくれる。こちらが気づいて「何?」と動作で尋ねると初めて音源に案内して、じーっとアイコンタクトをする。「分かったよ、ありがとう!」と言われると本当に嬉しそう。アシスタンスドッグは、褒めてもらえる嬉しさ、必要とされている責任、信頼されている誇りをちゃんと知っているのだ。
 聴導犬や介助犬の仕事は、家庭犬にも出来る単純な作業が殆ど。だから「どんな犬でも出来る」と言われることがある。でも、本当に24時間障害者を支える犬は、人を信頼し、気質が穏やかで、どんな環境でも安定していなければならない。「欲」や作業そのものの適性以前に、人の愛情に一心に応える感性も必要になる。
 そうでない犬に同じ作業をさせることも、訓練次第で簡単に出来るけれど、やっぱり違う。この子達は、人と共に暮らすことが仕事。訓練性能とはまた違う資質の高さを改めて感じた。
 ま、結局「うちの子達はほんとにいい子♪」というところに落ち着いてしまったということかもしれないけど。


■2002/04/26 (金) 名刺

 ニッキーの写真入りの名刺を、私はいつも持ち歩いている。勿論実物のニッキーも常に持ち歩いている。ニッキーに興味を持って声をかけてくれる人や、道に迷っている時や段差で立ち往生している時に助けてくれた人に、この名刺を渡す。
 何しろどこで人の助けが必要になるか分からない。私が倒れたらニッキーは杖や電話を持って来てくれる。電話はかける相手があってこそ「命綱」として機能するのだ。少しでも沢山の人に私とニッキーのことを覚えていてもらえば、その命綱は太くなる。それでなくても友達が増えるのは楽しい。
 今日は市役所に行った。駅から点字ブロックを辿っていけば大丈夫なはずが、実際にはブロックの誘導に従うと、歩道がなかったり舗装されていなかったりする危険地帯に遭遇する。斜めになった歩道でニッキーは車椅子をまっすぐ動かしてくれるけれど、時々道幅が狭すぎてニッキーと私が並べないところではそれも不可能だ。通りすがりの人に助けられて乗り切った。「わんちゃん、ご苦労様ねぇ。上手に自転車を避けるのね」と言われて名刺を一枚。
 帰り道では、事故の後遺症で足が不自由だという女性が声をかけてきた。「私もいつかこういう子のお世話になるかもしれないのよ。犬はいいね、嬉しそうに助けてくれるから」生命保険の勧誘をしているという彼女は、商売道具? のキャンディやティッシュをニッキーの鞄にどんどん入れてくれた。ここでも名刺を一枚。
 そして、本屋で会った女の子が「この子お手する?」「しっぽ振ってるから嬉しいのかな?」「英語が解るの? 外人?」などと楽しそうにニッキーと遊んでくれたので、名刺をまた一枚。
 20枚作った名刺が数日でなくなった。こんなに沢山の出会いに感謝しつつ、それでも縁遠い私って一体…? どっかの神社で良縁祈願でもするべきか。ニッキー以上に美形で気が利いて誠実で愛情豊かな人が理想だけど…それって無理かも。


■2002/04/16 (火) 釣られる

 といっても、誰かに食べ物で釣られたりした訳ではない。慣れた仕事だからとなめてかかっていたら、痛い目に遭ったというお話。
 ニッキーにとってはどちらかといえば楽な室内の仕事。転んでしまった時に助け起こしたりするのはともかく、ドアを開けたり灯りを点けたりは別に命に関わることでもなし、結構気楽にやっているようだ。多分私の気楽な気持ちが伝わっているんだろう。外出した時ほどの真剣勝負じゃないもんね。
 この間は、私がいる部屋以外の灯りを点けたり消したり、離れた場所の物を言葉だけで探してきたりを組み合わせた練習をした。楽しそうに「ゲーム」に興じるニッキーさん。台所の電気を消した後、真ん中の部屋の電気を点けるとかの課題を、私の言葉だけをヒントに次々クリアした。その時、最初はテーブルの上に前足をあげて引っ張っていた電灯の紐を、途中からは前足を上げずに首を伸ばして引っ張るようになっていた。
 最初の頃はきっちりくわえてまっすぐ引っ張っていたのに、最近はいい加減になったなぁ、と思っていたら今日、電灯の紐の先の結び目が歯に引っかかり、白目と前歯を見せて慌てているニッキーを私は見た。でかい魚が釣られている感じ。10秒くらい静かに紐と格闘し、やっと自由になるとニッキーは不機嫌そうにハウスに丸くなった。
 さっき、もう一度同じ紐を引いて灯りを消すように指示したらやっぱり今度は、両手をテーブルに載せて紐の中ほどをくわえて丁寧に引く。よっぽどこたえたんだね、ご苦労様。釣られている現場では笑いをこらえたけれど、超丁寧になったニッキーの仕事ぶりを見たらとうとう吹き出してしまった。


■2002/04/13 (土) 英語

 約束通りニッキーと出かけ、とあるビルのエレベーターに乗った。私達が乗り込んだ時には3、4人の人が先に乗っていたらしい。らしい、というのは、私の視力では人がいることは判ってもはっきり見えないから。
 ニッキーをぴったり横につけて、なるべく他の人の迷惑にならないように座らせる。その時「おお、トップドッグ!」と小さな声が聞こえた。トップドッグというのはご承知の通り、ニッキーが卒業した訓練所の名前。
 実はアメリカでも、介助犬を意味するService dog、Assistance dogという言葉はそれほどポピュラーではない。他にHelping dogとかAide dogなんて言うこともあるようだ。我が町ツーソンでは、市内ふたつの訓練所の名前「トップドッグ」と「ハンディドッグス」が介助犬の代名詞になっている。
 ふたつの訓練所は決して仲が悪い訳ではなく、お互いを尊重した上で自分達のやり方に誇りを持っていて、卒業した犬をそれぞれ「トップドッグ」「ハンディドッグ」の名称で呼び、自分達が育成した他とは違う個性的な犬を大切にしていた。そんな訳でニッキーは62番目のトップドッグ。ツーソンの街で「トップドッグだ」とか「ハンディドッグだ」と言われることもあった。
 だけど日本で「トップドッグ!」なんて言われたのは初めてだ。見上げるとふたり連れの外国人が英語で何やら話していた。そうか、日本人はニッキーのハーネスに着けたカードを見て「介助犬!」と言うけれど、この人達は漢字が読めないもんね。訓練所のロゴのTOP DOGの文字の方が目につくのだ。
 過去に2度、電車の中で英語をしゃべる人に声をかけられた。「いい犬だねぇ」みたいなことを言われて、「この子はアメリカで訓練を受けたから英語が解るんです。だからあなたが褒めたのをきっと喜んで聞いてますよ」と答えた。何だか英語で会話すると留学時代を思い出して、きゅんと懐かしい。
 日本人に比べて欧米の人は、賞賛やお礼の言葉を抵抗なく口にする。だから、行儀のいい犬を見て自然に「いい犬だね」と声をかけてくれる。それはとっても嬉しいのだけれど…声をかけた相手が英語の解らない人だったらどうなるんだろう。世界のどこに行っても英語が通じるという思い込みだけはどうにかならないもんだろうか。留学中英語で苦しんだ私は、彼らにも是非日本語で苦しんで欲しいと意地悪く思うのだった。


■2002/04/12 (金) 今日で一週間

 一週間、ニッキーはハーネスを着けていない。別に仕事をしていないとか出かけていないのではなくて、敢えて私が、ニッキーの助けなしに車椅子をこぐようにしている。ハーネスの代わりにニッキーは、「ASSISTANCE DOG」と黄色い文字の入ったいかにもアメリカ製なバックパックを背負う。
 筋力の衰えと腕が動きづらくなったのを自覚した私は、一念発起、家の近くでの散歩や買い物は、ニッキーに頼らずに自分でこぐぞ! と決意したのだった。以前腹筋を電気で鍛える某マシーンで楽をして痩せようと思った時は、なんとお腹の皮膚がかぶれて断念した私。今回は地道に努力の道を歩む予定。
 上り坂の特に急なところに来るとニッキーは、引っ張ろうとする。私の前に出て、ハーネスをつかむのを待っているけど、いつものハーネスを着けていないことに気づかないのだろうか。
 久しぶりに駅までの長い坂を登り、郵便局の前の斜めの歩道を歩き、コンビニの入り口を自力で越えた。やればまだできるじゃん、とひそかに自分を褒めてしまう。でも、知らない場所で予期しない上り坂があったら、道に迷って遠回りしてしまったら、やっぱりニッキーの助けが必要になるだろう。頑張りきれない時に助けてくれる心強い相棒が側にいるお陰で、ぎりぎりまで頑張れる。
 ニッキーはそんな私の気持ちは知らないで、「今日も出番がなかった〜」と外出のたびにちょっと残念そうだ。明日晴れたら、久しぶりにハーネスを着けて出かけよう。


■2002/04/11 (木) 耳掃除

 今朝、いつもどおり朝の挨拶にすりよってきたニッキーの耳をティッシュでぬぐってやると、右耳がまたも外耳炎らしい。乾燥している冬の間は調子がいいけれど、春になると途端に湿疹や外耳炎に悩まされる、意外に(?)敏感な犬なのだ。
 飼い主は、自分が朝のシャワーを浴びる前に犬の耳掃除をすることになった。今回、左耳はとってもきれい。問題があるのは右耳のみ。その右耳に獣医さんで貰った洗浄液を入れてよく揉む。
 ニッキーは、耳に液が入るのが嫌いなくせに、「いいこだねぇ、にっちゃんかわいいかわいい!」とか言われて触られるのが嬉しくて、嬉々として寄ってくる。そして液が耳に入ると頭を傾けたりしてささやかに無駄な抵抗を試みる。嫌なら最初から逃げればいいのに。
「はい、ぶるぶるして」言われなくてもぶるぶるするよね。それから指にティッシュを巻いて耳の中を拭いてやる。指が届く限り奥まで入れるのだけれど、これが気持ちいいのか、最近ニッキーは耳掃除の間歯ぎしりするようになった。痒いところを拭かれると気持ちよさに後ろ足がぴくぴく動いていることもある。最後に軟膏を指で塗りこんで完成。耳の中をいじられる間はうっとりしているが、「はいおしまい!」で解放されると早速右耳を絨毯にこすりつけに行く。耳の中に薬が入っているのはやっぱり気持ち悪いのかな。
 そう言えば、ツーソンでひどい外耳炎になった時は、同じように洗浄と軟膏で治療したのに、大騒ぎで抵抗された。無理やり洗浄して薬を塗ると、その後いつまでも床の上を転げまわって、カーペットで耳を拭いていたっけ。
 今はダウンステイをかければ気持ち悪いのを我慢して伏せていられるけれど、当時はダウンステイでもノー! でもどうにも止まらない状態で、結構広かった部屋の隅から隅まで耳をこすりつけてくれた。終わった時にはニッキーの耳は、カーペットのほこり・ごみ・糸くず・髪の毛・犬の毛で汚れていた。耳を掃除するはずが、耳で部屋を掃除してしまう、ニッキー流耳掃除。
 液と薬がアメリカのものと違うのか、それとも成長して我慢強くなったのか、はたまた耳の中の新たな快感に目覚めたのか。うっとりと本来の耳掃除に身を任せてくれるようになって、本当によかった。


■2002/04/07 (日) 気を遣って…

 いつでもどこでもかまってもらいたがる犬ニッキーさんは、例えばパソコンを終了する音や、私が眼鏡を外すことや、ちょっと伸びをする動作なんかに敏感だ。足元で寝ているニッキーが早速立ちあがって甘えに来る。
 今日はパソコンのスピーカーの音量をゼロにして静かに終了、音を立てないように閉じて、そーっと眼鏡を外してみた。ニッキーはまだ寝ている。私はさらにそーーっと椅子の向きを変えてみた。ニッキーはそれでも寝ている。でも、さっきまで寝息だったのに、目が覚めているらしい息遣いが聞こえてくから、きっと気づいているんだろうな。
 もしかしてニッキー、眠くて起きたくないのかもしれない。眠ければ寝ていてもいいのに、律義に挨拶に来る犬なのだ、こいつは。眠いけど起きてすりすりするべきか、寝たふりをを続けるか、迷っているんじゃないだろうか。無理に起こすのも可哀想だし…。私はちょっと犬に気を遣い、静かにコーヒーをいれに行こうと息を殺して立ち上がった。
 その途端。
 なーんだぁ! と言わんばかりにニッキーが立ちあがった。彼は彼なりに、私の仕事が本当に終わったのか、甘えていいのかを考えてこちらを観察していたらしい。ニッキーに気を遣ったつもりが、やっぱり気を遣わせてしまった。その分いつもより沢山撫で撫でを要求されたけど。
 飼い主より一枚も二枚もうわてな気配り犬ニッキー。いつもお世話になってます。


■2002/04/04 (木) ひらめき?

 ニッキーは水をよく飲む犬だ。台所でお皿を洗っていると、水音を聞きつけて「水が欲しいんですけど」と控えめに訴えてきた。
 台所で水を入れてハウスまで運ぶのは私には無理なので、ペットボトルを使って水を運んでいるが、ここのところ転ぶ回数が増えた私には辛い。ニッキーに自分の水を運んでもらうことにしよう。
 ニッキーが理解できる単語は60ちょっと。最近ペットボトルを「tea」と覚えたニッキーは、中身がお茶でもジュースでも空っぽでも「Get tea(お茶を取って)」と頼めばペットボトルを探して持って来る。
 台所から指示すると、ニッキーはまずテーブルの上やベッドの側を探しに行く。首を伸ばしてデスクの上も確認。ボトルがないのでとりあえず電話をくわえようとした時、「ちがうよ、こっち」と声をかけてやる。ニッキーは手前の部屋を探し始めるけれど、見慣れた500ミリのボトルを探して、2リットルのボトルを二度素通り。3度目にようやく2リットルのボトルをくわえて来てくれた。
 ボトルを受け取り、水をいれる。ここからがちょっと難しい。一杯に水を入れると重さは約2キロ。大きなボトルの重心をくわえるのは大変だし、蓋の方をくわえるとバランスが悪い分力が要る。どっちの方法を取るかはニッキーの判断だ。
 アメリカの大きな協会の基準や、訓練士さん・獣医さんのアドバイスを参考に、ニッキーにくわえさせるのは2キロまでと決めている。だから今回は最も重いもののひとつ。ニッキーは、蓋の近くの細いところをくわえることにした。最初は運ぼうとして落としてしまった。前足でボトルを引き寄せてくわえ直してみるが、やっぱりここをくわえて運ぶのは難しそう。何度もやり直している。
 そのうち、ニッキーのしっぽの振り方が強くなった。前足でがしがししているうちにボトルのラベルがはがれてきたところを、更にがしがししている。そして大きくはがれたラベルを得意そうにくわえる。
 ニッキーがよくくわえる受話器や杖はストラップをつけてくわえやすくしてあるので、それに近い形のラベルをくわえればうまく行くと思ったんだろうか。当然ラベルは破れて取れ、がっかりして彼のしっぽが一瞬止まった。
 結局最初の方法でボトルを運び、無事に水にありついたニッキー。楽をするためならよく頭を使う。ずっとしっぽを振っていたのも頼もしい。でも、私しか見てないのに笑いを取らなくても…。


■2002/04/03 (水) 油断

 最近ニッキーの白毛が気になったり、体力が落ちたように感じたり、少々淋しい想いで愛犬の老化を受け止めている。長時間の外出の後で疲れが取れるのにも、以前より時間が必要になった。
 一昨日は、出かけた先の坂道で車椅子を引いたりエレベーターを探したり、活躍してくれたニッキー。道を間違えて遠回りしたり、電車の乗り換えで歩きまわったり、無駄な体力も使った。帰ってくるなり水をがぶがぶ飲み、ご飯をばくばく食べて、爆睡モード。そんなニッキーを起こすのは忍びなくて私は普段ニッキーに頼んでいることも自分でやった。そして昨日も、疲れが残っているようだったので、仕事を頼むのにかなり下手に出てしまった。
「ニッキー、カム」呼ばれたニッキーはいつもならしっぽを振りながらやってくるのに、だらーっと起き上がり、面倒くさそうにこっちを見る。仕事ですかぁ? とでも言いたげに。ここで毅然として「ノー、カム」と指示しなければならないが、「疲れてるの? じゃトリーツあげようか」なんて甘やかしてしまった。いつもなら外出の後や寝る前に時々あげるだけのトリーツを、仕事の交換条件にしてしまったのも失敗だったかも。
 昨日は特にミスもなく仕事をしていたが、今日になってニッキーはいつもの礼儀正しい介助犬じゃなくなっていた。勿論ユーザーの私にだけ解るような微妙な変化だけれど、匂いに気を取られたりする回数もいつもより多い。極めつけは、出かける前の排泄の指示で大の方をせず、出発してから歩いている途中で突然モヨオシテしまったのだった。
 甘やかされて調子に乗ったのもあるだろうし、あまり仕事を頼まれないから、もしかして散歩がないのかと思って排泄を我慢してでも外に連れていってもらおうとしたのもあるだろう。ユーザーも未熟だった。買い物の後で、ひととおり服従訓練をやってから帰宅。
 ニッキーを信頼することは大事だけれど、放っておいてもいい子でいてくれると思ってしまうのは、信頼じゃなくて飼い主の方が甘えているのかも。そして、彼の誇りでもある仕事をいい加減にさせてしまうことは、働く犬ニッキーにとって何よりも失礼なことだった。
 ごめんねニッキー。でもちょっと嬉しかった。まだまだ現役、歳を取ったようでも性格も気力も変わっていないんだよね。ツーソンでてこずらされたやんちゃでわがままなニッキーに再会した気分。


■2002/04/01 (月) 古巣にて

 ニッキーを連れて都内某所へ出かけた。私の母校の近くである。その辺り、というか都内某市は、私が学生だった頃(10年くらい前)から「みどりと車椅子で歩けるまちづくり」をスローガンにして、今で言うバリアフリーに力を入れていた。
 ニッキーを連れてこの辺に来るのは初めて。ちょっと感じが変わっていたのと、視力が落ちてしまったのとで、何度も行った場所なのに時々人に聞きながら歩いた。昔と変わらず、どこにでもスロープやエレベーターがあって、ニッキーとふたりだけで歩くのに何の不安もない。
 でも。学生時代に何度も行ったビルのエレベーターに乗ってみてびっくり。今は結構どこにでもある低い位置のボタンがついていなかった。私は車椅子から手を伸ばして何とかボタンが押せたけれど、押せない人も多いはず。10年以上前のバリアフリーはやっぱりまだまだ未熟だったのかな。
 そう考えてふと気づく。あの頃一緒に遊んでいたメンバーには、車椅子を使う人・全盲の人・耳の聞こえない人・筋力が弱い人・それに両手に杖をついて歩く私・そして勿論大多数の健常者がいて、ボタンは誰かしら押せる人が押していたから、別に不便でもなんでもなかったのだ。例えば、筋力の弱い人が全盲の人の肩につかまりながら、同時に全盲の人を誘導していたり、なんてこともあった。
 ショウガイシャのためにケンジョウシャが何かをする、とか、こういう手助けをしなければいけないなんて決まりはないはずだ。誰にでも出来ることと出来ないことがあって、出来なければ出来る人に助けを求めていいし、別の出来ることを誰かのためにすればいい。
 学生時代の私達は遊んでばっかりだったけど、一緒に遊びたいからお互いに気持ちよく、当たり前に手を貸したり借りたりしていた。物理的なバリアはきっと今よりずっと多かったはずなのに、ずっと快適だった。そう、物理的なバリアに気づかずに過ごしていたくらい。
 もちろん、物理的なバリアフリーも必要だ。でもそれは、障害がある人もない人もその場を共有できるためのひとつの手段であって欲しい。決して、物理的なバリアフリーが、大切なものを見えなくしてしまわないように…。


(C)Yuki+Nicholas, http://blackdog.whitesnow.jp/