アクセス解析

(ナビをスキップ)表紙日本語目次書庫ためにならない介助犬のはなし>その2(ここから本文)

補助犬事情と家庭の事情?(ためにならない介助犬のはなし・2)

*「ためにならない介助犬のはなし」の目次に戻る時は、ブラウザの「戻る」を使ってください。

メーリングリストにて

 正確には、介助犬のはなしじゃなくて補助犬のはなしというべきなんだけど。

「同居しているふたりの障害者が、1頭の補助犬を共用している例を知りませんか?」

 主にアメリカの人たちが参加している補助犬関係者のメーリングリストに、そんな質問があった。原文で「補助犬」は、「SD」と略語で表記されていて、これはもちろん「Service Dog」の略。通常「介助犬」をさす言葉だが、ここでは「補助犬」全般をさす。 

 あまり盛り上がらなかったその話題。でも、誰かが『Chelsea』(聴導犬使用者が書いた本・邦訳今のところなし)の中で、聴導犬チェルシーの使用者夫妻は両方とも耳が聞えず、両方とも育成団体から「使用者」として認定された、と書いてあったとの情報を提供していた。

*聴導犬の場合は、自宅での音への対応が主な仕事である場合が多いので、夫婦で使用する例も時々聞く。上記の本に書かれた当時(1980年代前半)はアメリカでも、ADA法がなかったから聴導犬の公共施設や交通機関への同伴は難しく、必然的に自宅での仕事が中心だったのだろう。

日本では

 日本には、盲導犬のタンデム使用というのがある。各団体(協会・センター)によって意見が違い、肯定する団体も否定する団体もあるが、栃木盲導犬センターのサイトによれば、全国で21頭のタンデム盲導犬と、42人のタンデム使用者がいるらしい。

 タンデムとは、縦に並んだ(自転車の)ふたり乗りや(馬車の)2頭引きを意味する。「タンデム使用」という場合、ふたりの視覚障害者が交代で1頭の盲導犬を使用するだけでなく、1頭の盲導犬がひとりの人を誘導し、その人の肩や腕をつかんでもうひとりの人も誘導される、「縦並びのふたりの視覚障害者を、同時に1頭の盲導犬が誘導する」という使い方もする。

 日本だと、大きな犬を2頭も飼うのは大変だから、1頭で…という理由で、盲導犬の夫婦共用があるのだろう。狭い住環境や、犬を室内で飼うことに抵抗を感じ、抜け毛や匂いを気にすること、犬の世話に不安を感じる人が多いこと、三療で仕事をしている人は特に衛生に気を遣うこと…などなどの事情が想像できる。

 賃貸住宅だって犬がいたらなかなか借りられない。補助犬法ができても、実際に不動産屋さんや民間の大家さんと話す限り、以前と対応は変わっていないと実感している。

 そんな日本では、「盲導犬が2頭」よりも「盲導犬が1頭」の方が、何かと問題が少なそうではある。

アメリカでは

 メーリングリストでの話題に戻って、1頭の補助犬をふたりの障害者が使うという話に、「あまりいい方法とは思えない」と別の人の発言が。

「誰が犬の世話に責任を持つの?」「犬は誰と絆をつくればいいの?」「どちらかが補助犬を仕事に連れて行ったら、その間もうひとりは?」という感じで、否定的な意見がぽつぽつとあるのみだった。

 日本のタンデム肯定論だと、「犬の世話の責任は重要なので夫婦で協力して…」と言うのに、アメリカの人達はまず犬の世話の責任が曖昧だと指摘している。どちらがいいとかではなく、ちょっと面白いと思った。

 そして、アメリカだと「補助犬を仕事にも連れて行くのが当たり前」という発想。仕事場でも補助犬が受け入れられるのが普通だし、補助犬がいる方がいないより断然QOLや行動力が上がる、という確信がある。逆に日本のような「補助犬を連れて行けない場所」とか「補助犬と住めない住宅」という心配は、アメリカにはない。

 必要があるから補助犬の使用者になるのに、肝心な時に犬がいなかったら困る、というのも、補助犬の実用性を当然のこととして確信しているから思いつくこと。環境やメリットデメリットの考え方などなどから、アメリカ人の方が補助犬の実用性が高いと感じているようだ。

 夫婦共に障害があっても、どちらも別々に就労して通勤している、という姿も、アメリカ人は普通にイメージできるのだろう。いつも夫婦一緒に歩くのではなく、別行動があって当然、障害があってもそれぞれの仕事があり、両方の仕事は同じように大切だからどちらも補助犬が必要だ、というのが、アメリカ的常識らしい。

「夫婦の一方に補助犬が必要ないなら、最初からその人は補助犬を使わなければいいし、両方に必要なら、それぞれが補助犬を持っていなければ自立が保てない」という発言もあった。

結局…

 日本人は「家に2頭の補助犬がいる」というのに違和感を感じ、アメリカ人は「夫婦が常に一緒に行動する」ことと「補助犬使用者が時々補助犬なしで行動する」ことに違和感を感じる。そして日本人は「補助犬を使う制約」を先に考え、アメリカ人は「補助犬の実用性とメリット」を先に考える。

「犬と暮らす文化」「家族・家の文化」「障害者の自立という感覚の違い」「障害者の社会参加の度合」「補助犬が社会に受け入れられる度合」全てが密接に絡み合ってそういう違いが生まれている。

 日本とアメリカの、補助犬事情の差を生み出す、自立への意識や犬の飼い方の違い。それを興味深く考えながら、全部を説明することはできなくても一応、「日本では2頭の盲導犬を持つのが大変だからと、タンデム使用をする人がいますよ」と簡単な説明と共に投稿してみた私。

 犬の文化論や障害の認識云々を一瞬に飛び越えて、何よりアメリカ的だと思ったのは、この返事だった。

「もし離婚したら、どちらが補助犬を連れて行くの?」

 さすがは離婚大国。

 やっぱりアメリカって…と妙に納得してしまった。(ほら、結局ためにならない結論になった)

 補助犬のはなしって、やっぱり人の生活全て、その人の価値観や暮らしや家庭の事情や社会環境までが、相互に絡み合っている。犬の話や障害の話だけではないと改めて思った。強いて言うなら「暮らしと人生」のはなしなんじゃないかな、と。(と、無理やりまっとうなことを言ってみる)

(C)Yuki Nagaoka, 2006

ウィンドウを閉じる

このページの壁紙は、「盲導犬KEIRU」の桃さんの作品です。