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介助犬・ニッキー

(ここは説明)*この文章は、2003年、朝日新聞の販売店で配布している冊子『Doggy and Cats』に、花井智子さんの写真と共に、掲載していただきました。「介助犬について」の文章の一部も同時に掲載していただきました。雑誌に書かせていただいた文章はいくつかあるのですが、その中でも自由に書かせてもらえて、周囲の感想もよかったものなので、記念に掲載。(説明おわり、以下本文)

 ニッキー、正式にはニコラス。1996年1月1日生まれ、現在7歳、雄のラブラドール・リトリーバー。
 職業は、私の介助犬。
 転んだ時に立ち上がるのを助けたり、落とした物や必要な物(杖や携帯電話や冷蔵庫の中の目薬など)を手元に届けたり、車椅子を動かすのを手伝ったり、ドアを開けたりと、約80の言葉と私の表情を理解して、身体の不自由な私の手足になってくれる犬です。

ロボットには出来ないこと

 ニッキーと私は、1999年4月からアメリカで約1年半の訓練を受けました。
 アリゾナ州のツーソンという、年中晴れている砂漠の町の小さな訓練所に通い、のんびりした町でののんびりした訓練は、決して「厳しい」とか「乗り越える」という感じではありません。
 夕方の散歩に行くと、高い建物のない広い空に、視界いっぱいの夕焼けが広がっていて、どんなにうまく行かなかった日でも、「明日はなんとかなるさ」と思えたものです。
 そんな環境で、訓練ではいっぱいいっぱい「グッド!」と褒められていたせいか、働くニッキーに悲壮感はありません。しっぽを振りながら、嬉しそうに仕事をします。
 インストラクターは、よくこう言っていました。
「命令されて働く犬ではなくて、自分から人を助けようとする犬に育てなさい」と。
 アメリカは、障害を持つ人にとって日本より住みやすい環境が整っています。「そのうち介助ロボットが出来る」と言う人もいるくらい、福祉機器も進んでいるようです。
 だからこそアメリカの障害者達は、介助犬に「ロボットには絶対に出来ないこと」を求めるのかも知れません。生き物である犬が考え、判断してくれることや、人の表情を読み取って行動してくれること、何より、助けようとする心を持っていること。
 ニッキーにも、考える力や相棒を助けようとする心が、1年半の間に育ったようです。無事、介助犬として、飛行機の客席に乗って帰国することが出来ました。

ひとり歩きしたかった

「ニッキーと暮らす前は不自由だったでしょう」と言われますが、実はそうでもありません。
 生まれてすぐに障害を持った私にとって、歩けないことも、視力が弱いことも、当たり前のこと。そのことを、苦しいとか悲しいとか感じたことはないのです。
 子供の頃は両親が、大人になってからは友人達が、必要な時にはこころよく手を貸してくれました。友人に恵まれて、不自由も不可能も、ほとんどありませんでした。
 でも、たまには、ひとり歩きしたかった。
 そこで、愛犬ニッキーに介助犬になってもらおうと考えたのです。
 でも、ひとり歩きは実現していません。いまだに手(前足?)を借りています。
 時には、リモコンと電話の子機を間違えて持ってくるニッキーに笑わされたりもしています。もちろん飼い主として、ニッキーの食餌を管理したり、ブラシをかけたり、うんこを拾ったりするのは私の役目。失敗もあり、手間もかかるヤツです。
 人間のように何でもやってくれることもありません。例えば手紙を出しに行きたい時、ニッキーは、途中で手紙が風に飛ばされたら拾ってきてくれるし、時々車椅子を引っ張ったりもしてくれますが、代わりに出してきてくれることはないのです。
 代わりにやってくれるのでなく、必要な時のために側にいて、私が自分で出来るように少しだけ助けてくれるのが、介助犬ニッキーの仕事なのです。

顔を見合わせて笑える相棒

 朝、ゴミの収集車に惜しいところで置いていかれた時、「走れたら間に合ったのに…」という思いが、走れない私の頭を無意味にかすめます。電球が切れた時や、かさばるお徳用トイレットペーパーを買いたい時にも、「背伸びが出来たら」とか「車が運転出来たら」とか、仕方のないことを考えたりして。
 ほこりが積もるようにそんな思いが溜まったら、いつか自分自身を否定したくなるかもしれません。
 今、ゴミ出しはニッキーと一緒です。ゴミ袋を私がひとつひざに乗せ、もうひとつをニッキーがくわえてゴミの収集場所へ。先日も、本当にタッチの差で、収集車が行ってしまいました。でも、今は顔を見合わせて笑える相棒がいます。
 そんなことも、ふたり歩きならではかもしれません。

(C)Yuki Nagaoka, 2003

このページの壁紙は、「盲導犬KEIRU」の桃さんの作品です。

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